2026年 三代展 を開催します

父が亡くなり5月で7年が経ちました。昭和14年1939年生まれの父は、当時80歳の誕生日を迎える直前でした。来年2027年7月5日は生誕88年にあたります。そして2月17日は母の13回忌です。ついでにわたしは来年還暦です。節目の年、いろいろと後回しにできないと、今年はWEB上で、来年は小さなギャラリーを借りての三代展を計画しています。

こちらは7年前作った父のHP

https://k-ikemoto.jimdofree.com

この絵は、上記のHPを見て、連絡をいただき、うちに送られてきた父の絵です。ご実家を取り壊すことになり、置く場所がどうしても確保できないとのこと。「若いころからずっと見てきました。素敵な絵ですよね」と言っていただき、嬉しかったです。

送られてきたものは重めの額入りで、それも一部手作りっぽく。額屋さんと交渉して、ちょっとでも安く作ってもらったんだろうなと💧お父さんらしいなと懐かしく感じました。小さめなので飾りやすく、今はうちの玄関入ってすぐの壁に飾ってます。


 父についての略歴などjはHPをご覧ください。ざっくり紹介しています。

詳細に書くとあまりにもたくさんのエピソードがあり、少しだけ書き始めましたが、脈絡のない文章になってしまい諦めました。気長に一記事ずつこちらのページに投稿していこうと思います。

父が亡くなる1週間前、わたしの誕生日に電話をかけてきて、それが最後の会話になりました。

電話で父がわたしに

「絵を捨ててほしくないんよ」

と言ったのがまるで遺言のようになりました。
私以外の家族は絵を描く習慣はなく、わたしだけが絵を描くので、父もわたしに託したのでしょうと思います。物心ついた頃は毎日絵を描いていました。毎朝新聞に織り込まれている広告の裏が白いものを見つけてはそれに絵を描いていました。

55歳の働き盛りに脳出血で半身不随となり、はじめは寝たきりでしたが、リハビリなどで少しずつ回復していったものの、仕事に復帰することはできず、最期まで絵を描くことだけが励みとなりました。

もちろん初めは絵筆を持つこともかなわず、というより、気力もなく、ひどい鬱状態でした。元の暮らしができないと分かったときは何度も死にたいとも考えていたようです。でも入院中に出会った絵手紙を、人に乞われて教えるようになり、水彩色鉛筆から始めて、ヒーリングアートなども学んでみたり、いろいろやってみたようです。その後、徐々に油絵を再開していきました。

結婚して、福山に住んでから、丸山讃三先生に油絵を習い、庭にプレハブを建てアトリエにして日曜画家をしていた父でしたが、スキーやゴルフが大好きな人でした。病に倒れた後は利き手の左手が麻痺してしまって、最初は絵筆もおぼつかなかったのですが、病後初めて50号の大きな絵を描いた作品は鞆の浦の風景で、とてものびやかで、私自身初めて父の絵をほしいと思ったものでした。その後だんだんと細かい描きこみもできるようになり、毎日午前中3時間は油絵を描く習慣でした。油絵を描いている間、絵手紙を描いている間は、普段痺れている左半身の痛みやしびれを感じないのだと話していました。

「休息の漁港」

それがこちら50号の絵です。

元々左利きで、字を書いたり食事したりは右でしていたので、利き手の左が麻痺して使えなくてもすごく困るという感じは無いように見えましたが、この大きな絵を描くには気力と体力が必要だったようです。一つ本当に復帰して来れたなあと思えた記念すべき作品です。

実は一度「欲しい絵はないか?なんでもやる」と言われたことがあり、この絵が欲しいと伝えると首を横に振って「これはやれん」と言ってました。これをこそ展示できるといいのですが、50号なので持ち運びもなかなか大変です。実際の展示の際は10〜30号の作品を数点と思っています。

 

✴︎

 こちらにご紹介するのは、父が倒れる前に描いていたもので、病後まもなく、群炎展に出すものが今年は描けないから、これを出すと言っていたように記憶しています。

その前の年の出展は倒れる直前に出していたから途切れなく連続出展できているんだととても嬉しそうに話していました。

福山の商店街を描いた作品 ↓

こちらは従姉妹の次男さんが気に入ってくれてもらってくれました。青と黄色の使い方がゴッホに似てて好きだと言ってくれてたように記憶してます。↓

こちらの絵はいくつかサイズがあり、生前のことですが、50号の大きなものを砺波市の小学校に寄贈させていただきました。ご縁に心から感謝です。

「銀杏並木」

こちらはうちにある絵でさくらの木でわたしが額を手彫りしたいなあと考えている絵です。実際どうなるか乞うご期待?!といったところです。

「杏咲く田尻」1997年4月

と、父母の思い出は今回はこんなところで。

また、改めて書きます。

今回、3代展を開催するにあたり、新しく絵を描きたいと思っていました。でもライアーを彫る仕事が忙しくなかなか描けない状況でしたが、この年末にちょっと頭を打って、大事をとって安静にしていた時に絵を描くことができました。

具合が悪くても、絶対安静でさえなければ、絵は描けるものだと思ったものでした。

もちろん、最初は鉛筆でデッサンから、その後水彩色鉛筆に、水彩色鉛筆では思うように描けないと思うようになって、そうして水彩(光の三原色)の準備をする気持ちになりました。だんだんエネルギーが湧いていきました。

なんとなく安静の時期に描いたデッサンたち。『緊急取調室』の映画を観た後で、商材写真などよりデッサンさせていただきました。習作ということで小さく載せさせていただいきます。🙏

この頃、死ぬまでに描きたい絵を描いておこうという気持ちでいました。

こちらは大好きな風景、民族民芸村の紅葉🍁です。

秋の色 2026年2月

こちらは数年前の成人式の前撮りの娘の画像から

実はずっと娘をモデルに妖精の絵など描いてきました。

娘 2026年

こちらは昨年、虹龍を描いてというお話があり描いてみたものです。

虹龍

2025年


ライアーを持つ人形と春の花 2026年制作

思う存分描き込んでしまいました。モチーフのお人形は、友人の手作りの人形です。木彫りの小さいライアーはわたしの手製です。

妖精のような人形とガラスの花瓶に入った花の水彩画


アクリル画

メディテーションペインティング(こちらについて詳細をまた書いていきます)

 

 ただ喜びのエネルギーで描いた絵です。

2013年ごろ制作

 

大坂さゆり

 

娘のイラスト

一枚、今回の展示のために書きおろしてくれました。ほかは、過去作品より。細かな解説はありません。


flower3

2026年制作


flower2

2022年制作

 

吸血鬼

2022年制作

 

flower1

2020年制作

 

思い出

2021年制作

大坂芙実

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